この法要は、この1年間にご往生された全国のご門徒の方を追悼する法要であります。亡く
なられた方を偲び、浄土真宗のみ教えを聞かせていただくご縁といたしましょう。
親鸞聖人は、主著である『教行信証』に、道綽禅師(どうじゃくぜんじ)の『安楽集』の文
章を引いておられます。それは「真言(しんごん)を採(と)り集めて、往益(おうやく)を
助修(じょしゅ)せしむ。いかんとなれば、前(さき)に生(うま)れんものは後(のち)を
導き、後に生れんひとは前を訪(とぶら)へ、連続無窮(むぐう)にして、願はくは休止(く
し)せざらしめんと欲(ほっ)す。無辺(むへん)の生死海(しょうじかい)を尽(つく)さ
んがためのゆゑなり」(『註釈版聖典』474ページ)というものです。
現代語訳しますと「真実の言葉を集めて往生の助けにしよう。なぜなら、前(まえ)に生れ
るものは後(あと)のものを導き、後に生れるものは前のもののあとを尋(たず)ね、果てし
なくつらなって途切れることのないようにしたいからである。それは、数限りない迷いの人々
が残らず救われるためである」(『現代語版聖典』646ページ)となります。
インドにおいて、お釈迦さまがお説きになった仏教は、自己中心的なとらわれを離れ、真理
に基づいて生きる生き方を明らかにしています。その真理は、お釈迦さまが気付いても、気付
かなくても存在するといわれ、いつ、いかなる時にもあてはまる、普遍のものであるとされて
います。
それは、わかりやすく言うと、全てのものは、移り変わっていて、何一つとして変わらない
ものはないということです。どんなに科学技術が発達しても、私たちは毎年1歳ずつ年をとり
ます。そして、毎年、姿も、考え方も、自分では気付かなくても変化し続けています。それは、
決して誕生日の日に突然変化するわけではありません。1日1日変化し続けています。
しかし、私たちはこの変化を受け容れることが難しいのではないでしょうか。特に、親しい
方とのこの世での関わりは、永遠に続くと思ってしまいます。お釈迦さまは、私たちが抱える
苦しみの一つを、親しい方とも別れなければならない「愛別離苦(あいべつりく)」と示され
ました。
親鸞聖人は、このように真理に基づいて生きていくことが難しい私たちに阿弥陀さまがはた
らいていてくださると教えてくださいました。この阿弥陀さまのはたらきによって、とらわれ
を離れ、お念仏申す人生を送らせていただきましょう。そして、このみ教えをご縁ある方へ伝
えてまいりましょう。
本日は、ようこそご参拝くださいました。 本願寺新報2014(平成26)年12月20日号掲載
|