御消息等

■伝灯奉告法要御満座の消息
                 《2017(平成29)年5月31日御影堂にて》

   
    
   去る平成26年6月6日、前門主の跡を承けて法統を継承し、本願寺住職なら
  びに浄土真宗本願寺派門主として務めてまいりました。ここに法統継承を仏祖の
   昨年の10月1日よりお勤めしてまいりました伝灯奉告法要は、本日ご満座を
  お迎えいたしました。10期80日間にわたるご法要を厳粛盛大にお勤めするこ
  とができましたことは、仏祖のお導きと親鸞聖人のご遺徳、また代々法灯を伝え
  てこられた歴代宗主のご教化によることは申すまでもなく、日本全国のみならず、
  全世界に広がる有縁の方々の報恩謝徳のご懇念のたまものと、まことに有り難く
  思います。
   昨年の熊本地震から1年を経過し、甚大な被害をもたらした東日本大震災から
  6年が過ぎました。改めてお亡くなりになられた方々に哀悼の意を表しますとと
  もに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。どれほど時間が経過して
  も心の傷は癒されることなく、深い痛みを感じてお過ごしの方も多くおられるで
  しょう。なかでも、原子力発電所の事故による放射性物質の拡散によって、今な
  お故郷に帰ることができず、不自由な生活を余儀なくされている方々が多くおら
  れます。思うままに電力を消費する便利で豊かな生活を追求するあまり、一部の
  方々に過酷な現実を強いるという現代社会の矛盾の一つが、露わになったという
  ことができます。
   自分さえ良ければ他(ほか)はどうなってもよいという私たちの心にひそむ自己
  中心性は、時として表に現れてきます。このような凡愚の身の私たちではありま
  すが、ご本願に出遇い、阿弥陀如来のお慈悲に摂め取られて決して捨てられるこ
  とのない身ともなっています。そして、その大きな力に包まれているという安心
  感は、日々の生活を支え、社会のための活動を可能にする原動力となるでしょう。
   凡夫の身であることを忘れた傲慢な思いが誤っているのは当然ですが、凡夫だ
  から何もできないという無気力な姿勢も、親鸞聖人のみ教えとは異なるものです。
  即如前門主の『親鸞聖人750回大遠忌法要御満座を機縁として「新たな始まり」
  を期する消息』には、
    凡夫の身でなすことは不十分不完全であると自覚しつつ、それでも「世のな
    か安穏なれ、 仏法ひろまれ」と、精一杯努力させていただきましょう。
  と記されています。このように教示された生き方が念仏者にふさわしい歩みであ
  り、親鸞聖人のお心にかなったものであるといただきたいと思います。このこと
  は、ご法要初日に「念仏者の生き方」として詳しく述べさせていただきました。
   今、宗門が10年間にわたる「宗門総合振興計画」の取り組みを進めておりま
  すなか、来る 2023(平成35)年には宗祖ご誕生850年、そして、その
  翌年には立教開宗800年という記念すべき年をお迎えいたします。
   改めて申すまでもなく、その慶讃のご法要に向けたこれからの生活においても、
  私たち一人ひとりが真実信心をいただき、お慈悲の有り難さ尊さを人々に正しく
  わかりやすくお伝えすることが基本です。そして同時に、仏さまのような執われ
  のない完全に清らかな行いはできなくても、それぞれの場で念仏者の生き方を目
  指し、精一杯努めさせていただくことが大切です。
   み教えに生かされ、み教えをひろめ、さらに自他ともに心安らぐ社会を実現す
  るため、これからも共々に精進させていただきましょう。

                    平成29年(2017年) 5月31日
                    龍谷門主  釋  専  如