御消息等

■立教開宗記念法要(春の法要)でのご門主ご親教《2012(平成24)年4月15日御影堂にて》

  ありのままを認めた上で、往生浄土の人生を歩む
 
         
    ただ今は、皆さまとご一緒に立教開宗記念法要をおつとめしました。
    立教開宗とは、親鸞聖人が独自の考えを確立され、浄土真宗と名付けられた
   ことを意味します。親鸞聖人のご生涯を記した年表のようなものを見ますと、
   比叡山での自力のご修行をお捨てになり、法然聖人のご本願念仏の教えに帰依
   されたところに、一つの大事な転換があります。しかし、それで終わるのでは
   なく、お師匠さま、法然聖人と離れてしまわれた後、体験と思索を深められ、
   往相回向、還相回向という阿弥陀如来のはたらきを顕らかにしてくださったと
   ころに、親鸞聖人独自の教えがあります。
    それは、年表では「ご本典」、『教行信証』のご制作として示されるだけで
   すが、内容はまことに大事な事柄です。ご本願のはたらきの素晴らしさを解き
   明かされるとともに、それゆえに、成仏のためには私の持っている力は全く役
   に立たないことも明らかにされました。
    昨年、2011年は、宗門、本願寺にとっては750回大遠忌法要の年とし
   て特別な意味を持っていますが、日本の国全体を見るとき、東日本大震災の年
   となるでしょう。
    50年に一度の得難いご縁に遇えると、いささか心弾んでいた私でしたが、
   災害の大きさに戸惑うばかりでした。しかし、身を引き締めて大遠忌法要をお
   つとめしていますと、親鸞聖人の時代は今以上に天災地変の続いていたことが
   わかり、親鸞聖人の教えは、そのような中を生き抜かれたご体験に即している、
   と感じるようになりました。
    人間のいのちの尊さ、はかなさ、行いの罪深さなどをしっかりと受け止めら
   れるのは、阿弥陀如来の智慧と慈悲に照らされ、包まれているからです。私の
   思いだけでは、自分に都合の悪いことは考えないようにしたり、隠したりしま
   す。でも、阿弥陀如来の智慧と慈悲に照らされ、包まれていることに気が付き
   ますと、今さら取り繕っても、無駄であることに気付きます。ありのままを認
   めた上で、往生浄土の人生を歩むのです。阿弥陀如来が照らし、支えてくださ
   るからです。
    阿弥陀如来によるお救いと、私の生活がどのように関わるかは理屈で考える
   と難しいところですが、凡夫としての限界をわきまえて、できることを心がけ
   たいと思います。苦しむ人に本当に寄り添うことができるのは阿弥陀如来だけ
   ですが、私も不完全ながら何かを試みることはできるでしょう。そこから友の
   輪が広がり、次の課題が現れてくることもあると思います。お念仏しつつ、努
   めたいものです。
    なお、昨日、一昨日はこの御堂で、本願寺第13代良如上人の350回忌の
   ご法要がつとまりました。上人は400回大遠忌法要をおつとめになり、翌年
   ご往生になりました。昨年が350回忌ですが、大遠忌法要がありましたので、
   1年延期いたしました。法要のしおりや本願寺新報4月10日号に記事があり
   ますので、ご覧ください。
    良如上人の時代の特筆すべきことは、この御影堂が建立されたことです。当
   時の日本の人口は、今の1割か2割と推定されますから、これだけの御堂を建
   てられた方々の熱意を思わずにはおれません。また、僧侶養成のための学寮が
   できました。それが今日の龍谷大学につながります。
    堀川通りを挟んで本願寺の向こう側に昨年できました龍谷ミュージアムに関
   連の展示があります。なお、龍谷ミュージアムは大学の施設ですが、仏教、浄
   土真宗を中心に今後さまざまの展覧会が開かれます。折に触れてぜひご見学く
   ださい。
    ようこそご参拝になりました。